なかった世界の同情と孤立

https://www.facebook.com/shigetsugu.tanaka.7ミサイル“の続編だが、前記の88年6-7月のイラン滞在中に大変な事件があった。
イランからドバイ行きのイラン民間航空機655便がホルムズ海峡で米海軍艦隊に
ミサイルで誤爆撃墜され、現地では連日おおきく報道されホルムズ海峡に浮かぶ
遺体の写真を掲げたデモがあちこちであった。

そんな中で、戦闘前線へのパジェロでの移動はヤバイと商社の助言で二の足踏んでいたが、各地でのデモや抗議がある日を境に不思議に鎮静化し、あのホメイニ師が国連安保理の停戦協定を受諾した。Why ?

 

 

現地人に聞いたことだが、290人もの民間人がミサイル誤爆でなくなる大事件にも、関わらず“世界から惨事に対するイランや国民に対しする同情がなかった”ことで「イランの孤独・孤立感に観念して」停戦合意に至ったと言う事だった。(写真はネット検索引用写真)

商社の所長のお話では(真相はわからないが)、、停戦は世界の“経済制裁や圧力”でなく、”世界から同情のない孤立・窮地に追い込まれ”イランがギブアップしたと聞いた約30年前の話を思い出す。

かの国のミサイルや原爆実験、、、、、は厄介で様子は異なるのであろうが、毎回の政府の”断固抗議、制裁の強化”の記者会見の繰り返しでは、、、、

仕事終わって、アバダンからテヘランまでの真夏の移動は大変だからと航空便を厚生省が手配してくれたが、停戦など予想してなくミサイルが恐ろしく、有難く辞退1000㎞往路をパジェロで戻った。道々、川で水泳ぎ、地元のメロンやスイカはただ同様の値段で結構楽しい旅、次官とは入魂の中になり、戦後復興のお手伝いの大きな商いをさせて頂いた。 宿に戻った夜に停戦となり、8年も続いたイライラ戦争がひとまず終わった瞬間の市民の歓喜は凄かった。

4日も一緒だった次官は今頃どうしているのかと思うが、グループのSMAPでなくS.M.A.T.と言う忘れられない名前で、数年間の腐り縁で色々なドラマがあった。<最近は昨日や今日の事をよく忘れるが、昔のことはチャント記憶の片隅に残っているみたいだ。>